いつも希望を失わない、クリスマスの12日の5日目その2

1月13日(水)晴れ
『指環ははめてこそ価値が出る。』実祝プランニング語録
「クリスマスの5日目、愛するあの人がくれたのは、5つの金の指環」
5つの金の指環はモーセ5書。
旧約聖書の「創世記・出エジプト記・レビ記・民数記・申命記」である。
創世記は「始まり」という意味で、神以外のものの始まりについて記されている。
出エジプト記は、「出発」を意味し、神がご自分の民達を奴隷の状態の中から解放し導いたかが記され、紅海を渡らせ救われたこと、十戒を与え、神の祝福の道を示した。
レビ記は「贖いの書」とも呼ばれ、神が人の罪を赦し、友としてくださる方であることを知る助けとなるように書かれた。
民数記は「人口調査」から取られた。シナイ山から、カナン境域にいたるまでの荒野をさすらう民たちのことが書かれている。『青銅の蛇を仰ぎ見るものは、傷が癒される』事も出てくるが、これは新約の十字架のキリストの雛形ともいわれる。
申命記は、「第二の律法の書」とも呼ばれている。ここでモーセの死が書かれている。
しかし、モーセを越えるキリストへの預言も記されている。
モーセ5書は新約の4つの福音書と驚くべきつながりを持っている。人は弱い存在である。罪に負けたり、神の大きな恵みや愛をすぐに忘れて、目先のことに思いを寄せやすい。モーセ5書にはそれらが赤裸々に記されている。
目先のことが良いことばかりであればいいのだが、自分にとって不都合なことであると、文句や反発ばかりが出やすい。自分にとって辛いこと、良くないことの中、神の愛と恵みの大きさを、数えなおす場所に、立ち返ることが必要だ。例えば意図的に足をひっかけられ転んで怪我をしたとする。「痛いじゃないか!次からはやめてほしい」それは
言ってもいいだろうが、怪我の痛みの中でも神の愛と恵みは変わらないことを、自分の心に据え置くことだ。現実の痛みや辛さは同じでも、その闇の中に居座り続けるか、神の恵みと一緒に立ち上がり、癒される道を選ぶのかは自分が選ぶことである。 『光(イエス・キリスト)は闇の中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。ヨハネ1:5』続きは明日のお楽しみ★★★Copyright2010 実祝プランニング

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