サン・ガルガーノの聖なる剣 その5
11月20日(金)晴れ
『史実は現代の私たちに多くの真実を見せてくれる。』実祝プランニング語録
聖なる剣は偽物なのか?本物なのか?これを証明するために、聖ガルガーノ・プロジェクトが調査した。このプロジェクトはパピア大学のルイジ・ガラシェリ博士が率いた。
この剣の金属がいつの時代のものかを調べた結果、12世紀のものであることが判明した。
そして、修道院より先に建設された礼拝堂に使用されているレンガは、礼拝堂が建てられるより150年くらい前に存在していた材料のものであることも、判明した。
つまり、うまいこと偽装して作られたものではないのだ。
このサン・ガルガーノの剣は、まるで砂の中かバターの中に刺し入れたかのように、岩と剣と岩の間には全くすきまが無いという。これも、岩を削って刺し込んだものでないことが、判明された。
不思議な事があるものだ。
この剣は、どんな力持ちが抜こうとしても、決して抜くことが出来なかったという。
私は思う。神の計画は人が動かせる類のものではないということが、示されているのだろう。
小さな礼拝堂は残っているが、修道院は廃墟となっている。ここにも、隠された意味があるのかもしれない。
続きは、明日のお楽しみ・・・。★★★★★★★★Copyright 2009実祝プランニング
11月19日からは詩篇47篇。神を礼拝する賛美は絶えない。賛美は詩篇34篇にもあるよう、試練の中でも沸き出る喜びの源である。その2・詩篇47篇『2節・まことに、いと高き方主は、恐れられる方。全地の大いなる王。』いと高き方、とは神を示す表現の1つである。神が人の手が届かない遠いところにおられるのではない。すぐそばに居て、私のあなたの苦悩を理解し、祈りの声を聞いてくださる方である。しかし、神の聖は人の聖とは次元が異なるはるかに崇高で美しいものである。神の聖の前には人は自分の醜さ、弱さを見せられる。自然界をも支配されている主を本当に知れば、感謝と畏敬が沸き出てくる。