サン・ガルガーノの聖なる剣 その3

11月18日(水)曇り
『生かされている時間は大きな存在が喜ばれる用い方がHappy。』実祝プランニング語録
ガルガーノは自分が岩に突き刺した剣が、折れることもなく、岩にすいこまれるように刺さり、ちょうど柄の部分と剣とが十字架の形そのものになったのを見て驚いた。これが1180年の出来事だという。
刺さった剣の長さが長すぎても、短すぎても十字架の形にはならない。その上、岩に刺さったということも奇蹟である。それ以後、ガルガーノは、そこに小屋を建て、世俗と離れて暮らし始めた。
ところが、それに猛反対の人達がいた。ガルガーノの母親や、婚約者、友人達である。それはそうだろう。心配もするし、そのままどうやって、暮らしていくのか?
しかし、だれが何を言おうが、がルガーノの意志は剣が刺さった岩よりも固かったのだ。ガルガーノは人里離れた、この場所で簡素な生活の中、祈りを捧げて時間を過ごした。
その約1年後、1181年の12月に、ガルガーノは33歳の若さで亡くなった。しかし、自害するより生きて、神や人が悲しむ死を選ばず、真摯な祈りの道を選べたのは、幸いだったかもしれない。
召される時間は神が定めるのであるから。ガルガーノの遺体は、ガルガーノが剣を突き刺した、すぐ脇に葬られたという。
「教会をここに建てなさい。」と神はいわれたが、その後教会はどうなったのか?
続きは、明日のお楽しみ・・・。★★★★★★★★Copyright 2009実祝プランニング
11月8日からは、いぶし銀の輝きを持つ詩篇46編。多くの人がこの詩篇46編で、絶望から立ち上がった事実をもつ。
その11・詩篇46編『11節・万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。』46編の7節と同じ繰り返しが歌われている。天の軍勢の総指揮官は、わたしの櫓である。悪い者から守られる大きな強い盾である。たとえ大きな痛手を負ったとしても、時間の経過と共に、覆い隠されていた正義も姿を表す。自分にとって都合が良いことだけが守りでもない。その時は痛手を負うことがあっても、その痛手が,後には守りとなっていることもある。

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