11月2日は死者の日

11月2日(月)曇りのち晴れ
『人を大事に想う心は、大切なものに深く通じて行く。』実祝プランニング語録
11月2日は死者の日。キリスト教でもカトリック教会が、全ての死者の魂のために祈りを捧げる日である。
マルチン・ルターの宗教改革後、ルターは、聖書に根拠がないすべての、キリスト教の伝統的行事を廃止しようとした。イギリスの国教会では死者の日は廃止されてしまったが、プロテスタント教会でもヨーロッパの国々では、死者の日の風習を廃止することは出来なかった。
それは、単に教会の祝いごとという枠を超えて、人人の生活文化の中に根づいていたからである。フランスでは、死者の日になると、お墓に飾り付けをする。ドイツでは、お墓に花を飾る風習がある。日本のプロテスタント教会では11月1日は諸聖徒の日として、墓前で亡くなった方々を偲んで、神と天に希望をもって召天者記念礼拝を捧げている教会が多い。
親しい者との別れは、悲しい。死は遅かれ早かれ、誰にでも訪れる。キリスト教では、カトリックもプロテスタントも「死は終わりではない。」と信じる。イエス・キリストを信じる者は死は「天国の門へ入る素晴らしいとき」として聖書の言葉に基づき位置づけられている。
血がつながっていてもいなくても、亡くなった方を偲ぶというのは、かかわりを持てた故人がいたから、励まされ助けられてきた事実は消せない。自分ひとりで成長してきたのではないからだ。
私は、その謙遜な想いそのものが、「愛」、「信仰」、「感謝そのもの」、「善き行い」に深く通じていくものだと思う。

史実の中で実際には会ってない故人の生き方から感銘を受け、人生が良き方向に転換する場合もある。
続きは、明日のお楽しみ・・・。Copyright2009 実祝プランニング
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09’9月25~27日までのブログでパシフィック・ユニオンの学生達が、一生の力となり続けた、詩篇34篇の言葉。長いので、少しずつ、簡単な説明とともに、紹介させていただく。新改訳聖書引用。
その35 ・詩篇34篇『20 節・前半・主は、彼の骨をことごとく守り、』主といっしょに歩き、信仰を捨てないがゆえに、悩まされること苦しみを受けることもある。けれど、主はそれらに解決を必ず与えられ最終的には恥を見ない。殉教した聖人の敬虔な祈りと生き方に学ぶ姿が見えてくる。それは苦痛ではなく信仰を尊び幸いな心を召されるまで保ち続ける素晴らしさでる。

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