マルクス・クルティウスの伝説のHAPPY その4メッセージ

8月22日(土)曇り
『本物の{どうぞ}は多くの{本物のメッセージ}を伝える。』実祝プランニング語録
この伝説は、BC.700年代の王政ローマでの事実が土台になっている。そこに、すでに共和制ローマに移行していた時期のBC.445年の雷やBC.362年の地震の事実が交差したものだと思う。
BC.445年には想像だが、地面が陥没する位のかなり大きな雷がこの場に落ちたのではないか?
BC.445に雷が落ち、その後BC.362年にこの場に地震となれば、伝説ほど底が見えない大きな裂け目ではなくとも、地面が割れたくらいの事はあっただろう。人びとは自然の中に、神の何かのメッセージがあると取ったはずだ。神の声を囲うようにこの場所を囲ったのかもしれない。その間多くの戦争もあり、ルキウス、レグルス、ムキウス等等の勇者の史実も語りつがれてきた。
1553年にこの近くでギリシャ産の大理石のレリーフが発見された。今は模型がフォルムに置かれているが、オリジナルはカピトリ-ニ美術館に収蔵されている。レリーフは、サビニ人の指揮官メッティウス・クルティウスが地面の裂け目に飲み込まれる形が描かれている。
この裏には「ルキウスの息子であるルキウス・ナエウィウス、スルディヌス、法務官」と碑文が刻まれている。
スルディヌスはBC.9年頃の市民外人間訴訟担当法務官であった。スルディヌスはこのフォルムの床を舗装したという。それらはフォカスの記念柱そばにある青銅の碑文に刻まれている。
このレリーフは単体ではなく他のモニュメントの1部であろう。BC.700年代の出来事が時を経てBC.9年に多分裂け目があったであろう地に、記念碑が建てられ舗装されたのだ。
この事実が、なぜ、裂け目に身を捧げたマルクス・クルティウスの伝説となっていまだに多くの人に語りつがれているのか?そこには隠れたメッセージがあるのではないか?最も高価で尊いのは、命である。命は大きな存在から与えられている宝である。
その宝を虐待は勿論のこと、良くない様々な{もの}によって中毒にさせたり、意図的に傷つけてはいけない。しかし、また自分の命を大事にする事は大切だが、自己中心であっては良くない。 『悪者の道は彼らを迷わせる。聖書箴言12:26』自己中心な人は{本物のどうぞ}が出来ない。マルクス・クルティウスは{本物のどうぞ}が出来たから、人びとを救い生かせたのだ。続きは、お楽しみに・・・又明日・・・。
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