マルクス・クルティウスの伝説のHAPPY その3平和

8月21日(金)晴れ
『平和の陰には忘れてはならない尊い出来事があった。』実祝プランニング語録
命を懸けて、国を、人を守って救ってきた人達が多く存在した。
しかし、命を粗末にして欲しいということではない。
この伝説には後2つあり、1つは、BC.445年、ここに雷が落ちた。その時元老院たちが、ここを囲うことに決め、ガイウス・クルティウスという人がこの場所を囲んだという説。もう1つは、ローマとサビニ人が戦争をしていたとき、サビニ人の指揮官・メッティウス・クルティウスが騎乗したまま沼にはまったという説。後の伝説は、ローマの草創期の実際に起きた、「サビニの女達」から、伝わったものと想像する。
ローマ建国はBC.754年といわれている。この頃は王政ローマであった。BC.8世紀はロムルスとヌマが王を務めた。ロムルスの時代、ローマには女性が殆どいなくて、男達は婚活であった。ロムルスは祭りを口実にサビニ人を集めた。そして祭りの最中、ロムルスの合図と共に、ローマの男性達がサビニ人の未婚の女性を奪って連れて帰ったという。サビニ人たちは当然怒る。戦争になった。
最初はサビニ側が優勢であった。ところがメッティウス・クルティウスが沼にはまった後から、ローマが優勢になってきた。
それを知った、元サビニ人の女性達が、自分の夫ローマの男と、サビニにいる自分の親族の男達の間を駆け回り、どちらへも『自分は、あなた達を愛して大事に思う。』というような愛情の言葉を叫んで回ったという。
その結果、争いがおさまり、両軍は和解をしたという。
『平和を図る人には喜びがある。聖書箴言12:20』いくら奪ってきたサビニの女性であっても、大事にしたことだろう。サビニの女性達とて、自分の夫と親族が戦い命を失う事は、悲しいことだ。
8月15日には日本の終戦記念日であったが、戦争体験をされた方々は、戦争によって失ったもののほうが多いという。この裂け目、あるいは沼地の伝説には、勇気と平和の願いがこめられているように思う。サビニ人の女性達は、命がけで戦いの現場に立ったのだ。命がけで多くの血が流されることを自分にできることで阻止したのだ。伝説の裏側には多くの教訓が隠されているかもしれない。続きは、明日の、お楽しみ・・・。
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