エトルリア国ポルセンナ王のHAPPY その1公平さ

8月16日(日)曇り
『まず、自分の内側に勇気を育てる。それが知恵と勇気を引き出す秘訣。』実祝プランニング語録
ローマとの和解に傾いたポルセンナであるが、問題となるのが、ポルセンナの盟友でもあった「傲慢王・タルクィニウス」である。どの角度から見てもタルクィニウスは、勇敢さや誇りは持ち合わせていない。
持っているのは、自己中心、卑怯さ、傲慢である。
共和制ローマの執政官の一人[プラエトル]のプブリコは、ポルセンナの名前の下で傲慢王タルクィニウスを裁判にかけたいと申し出た。よく執政官を[コンスル]と称されるが、BC.509年から共和制に移行した時、ルキウスがこの役職を制定した。[コンスル]という呼び名はBC.305 年に引き継がれた名である。
さてこの時、タルクィニウスは大そう乱暴な口の聞き方をしたらしい。その結果、ポルセンナは、タルクィニウスを見捨てた。 
『愚かな者の前を離れ去れ。知恵のことばはそこにはない。聖書箴言13:7』また、ポルセンナの息子のアルンスもポルセンナには同盟を勧めた。そしてポルセンナは、ローマ包囲から撤退し、捕虜を返した。
さて、ローマも律義な気概を持つ国である。ポルセンナに、貴族の青年10人と、乙女10人を人質として差し出した。この中には、[プラエトル]であるプブリコの娘、ワレリアもいたのであるから、プブリコも身内贔屓をせず
公平に正しく事を進めていったのである。
ところがこの乙女の中のクロエリアという娘が番兵を欺いて夜中に王の陣営を抜け出して、たまたまつないであった馬を奪って、あのティベリス川を越えたという。ポルセンナは使節を送って人質の返還を求めた。プブリコも、ポルセンナに「ローマは信義に反する事はしない。」と、クロエリアをを再びポルセンナのもとへ送り返した。さすが、約束をきっちり守る誇り高きローマ人だ。
クロエリアはどうなってしまうのか?続きは明日の、お楽しみ・・・。

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