エセル・マーマンのHAPPY その1

5月14日(木)晴れ
『HAPPYな出会いは人生をも正しく導いてくれる。』実祝プランニング語録

アメリカでブロードウェイの女王といえば、40年にもわたり活躍した「エセル・マーマン」
(1908/1/16~1984/2/15)が有名だ。代表作には「アニーよ銃をとれ」「ジプシー」などがある。
このマーマンが、ひとりの貧しい新聞売りの少年を助けたことがあった。その少年はのちに、立派な編集長にまでなった。しかし、そのきっかけとなった出来事がある。それが、マーマンとの偶然が起こしたHAPPYな出会いだった。
少年の名はビルと呼ばれていた。ビルは不幸な生い立ちから10歳の頃にはぐれかけていた。
母、続いて父が亡くなり、7人いた兄弟姉妹は孤児になってしまった。ビルは親戚に引き取られたが、他の兄弟姉妹は施設に入った。しかし、親戚の家も貧しかったため、ビルは自分の収入のために働いた。たった1セントを得るために、真夏の炎天下でも真冬の寒波でも歩道の脇に立って新聞を3部は売らないといけない。ある春の夕方、市内電車が街角を走っていた。ビルは開いている窓から、乗客に新聞を売っていった。ある(多分酔っ払っていた乗客であろう)人が、「新聞を2部くれ」というので、ビルは上手にその人に2部の新聞を投げた。
ところがその人は、馬鹿にした笑いをしながら、「おうい!ここに飛び乗ったらこの硬貨を投げてやるよ!」とからかった。少年ビルは、商品である新聞の重い束を抱えたまま、何度も飛び乗ろうとした。が、相手は電車である。スピードが違う。ビルは何度も飛び乗ろうとしては転げ落ち、ついに道に倒れてしまった。この時代、道には4輪馬車や荷馬車が行きかっている。
その時!ある馬車から、かん高い女性の声がして、ビルのそばで停まった。これがビルとマーマンのHAPPYな出会いであった。
『私の助けは、天地を造られた主から来る。聖書 詩篇121:2』HAPPYな出会いは人生を正しく矯正する大きな礎となった、、、続きは又明日・・・・。
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