損得から脱するHAPPY その3
2月10日(火)晴れ
「HAPPYを祈る心に善と優しさをこめるHAPPY」
実祝プランニング語録
伝統に基づいた老舗というと、皆さんはどのくらいの時間を想像されるだろうか?
大体100年くらいかと思っていたが、京都では今でも180年以上の歴史がないと、まず、時間で
合格点に達しないのだそうだ。時間の経過とのれんを守っただけでも、すごいのに、この上に現在も進歩進化、成長していることが、老舗と呼ばれる条件らしい。
さて、そのなかで、180年には達していないが、3代目の「石屋」さんがおられる。技術は素晴らしく、評価も高い。ここの責任者Y氏は、バブルの時でも、決して忙しいからと手を抜いたり、陰での当たり前のことを、怠らずやってこられたという。バブルの時期は多くが忙しいため、同業者でも手を抜いたらしい。仕事はきちんとこなされたようだが、細かな部分も大事にすることを、気をつけておられた。職人が、忙しいからと掃除、片づけをしてきか、気になって、朝早々と現場にでかけたらしい。職人さんはきちんと片付けておられたが、マダ、掃除する場を探して綺麗にしていかれたらしい。
きちんと、されたほうは、HAPPYだ。
そんな朝早くから、誰も見ていないと思ったらしいが、見ていた人がいたと。見てもらうためにはしていないが。
その経験から、それらをきちんとすることが、仕事としても、人間としても価値があるんだと、話された。私は、それらがよく理解できた。自分もボランティアでは1番遠方から、誰よりも早く出かけ、1番遅くに帰っている。その間も、そこにいくまでの普段の夜の時間も、色んなことをさせて頂いている。
そういうことが大事だと思ってはいるが、100年くらい続く立派な仕事をされている方から、実体験による、裏打ちと背を押されたことは、本当にHAPPYだった。
その方のお話しを伺えてHAPPYだった。どんなことをしたか、と言うのは簡単である。しかし、
それを行う背景には、様々な苦労がある。朝早く出かけていくことだって、前日は遅くまで仕事をしていたかもしれない。体調が良くなかったかもしれない。やってることを、みてもらえないだけならまだしも、逆の傷つくことを言われたりする場合もあるかもしれない。
それらを、しかし、させていく原動力は、それらに対する愛情、尊厳、優しさではないだろうか?
逆の方向に取られたり、言われたりしても、悲しさや怒りを、許していくことがいいんだ!とそのY氏はいわれた。なぜなら、それが自分をHAPPYにすることにつながると。Y氏は言った。自分が悲しみから、怒りから解き放たれるためなんだと。この話を聞いていた人の多くの経営者は、とても難しい問題と言われた。それは、仕方がない部分がある。酷い仕打ちをされたり陥れられたり、騙されたりお金に関することで大きなこともある。しかしまた、酷いと思えることをされる方は、ご自分が何かで傷ついておられるのかもしれない。それが、形になって、良いことでなくても、叫びが形になってでて、良心に鋼鉄のカバーがかかっているのかもしれないが。
でも私はなんとなく、Y氏のいわれたことが、理解できつつある。Y氏が言われる許しとは、なんでもそれらを「いいよ」で済ますのではなく、相手の高笑いを許可し、見過ごしていくためではない。
心の深い部分の自分自身への尊厳を言われているはずだ。相手の傷を包む優しさでもある。それらが自分のなかでクリアできていけば、いつか相手へのHAPPYを本気で祈り、願う事は簡単にできていく。上辺だけでなく、、。HAPPYを願う心に善なる思いを、優しさをこめようとするなら、これが出来てからだろう。それを自分が望むか否かだ。年令と共に、多くのことを経験する。
沢山ありすぎる課題でも、1つからでもそれを望んで実行したい!と、私は思った。だから、チャレンジしていく。
今日も素晴らしいHAPPYな時間を天から与えてもらい、HAPPYだ。
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