心の優しさの伝統の継承 その2
2月6日(金)晴れ暖か
『思いと心の研磨がHAPPYを磨いていく。』実祝プランニング語録
優しさとは、何でも「いいよ、いいよ」ではないはずだ。絶対にしてはいけないことは、厳しく叱るなり、注意するなりしないといけない。
この頃は、大人でも、善く無いことをした人が庇われることが優しさであり、許すこであると、説くような事もでてきている。善く無いことをされた側が、許さないことが悪いとまで言われる事もあるらしい。
私も含め、人間は誰でも、失敗や間違いがある。それを素直に認めて、相手を想うなら「本当のごめんなさい」ができれば、気持ちが伝わりHAPPYになれる。
それを、「そんなことを言ってない」とか「わすれた」と言う方向に持っていくから、おかしくなる。
ただ今、そう言ってる人が、『ごめんなさい』を口にしても、「本当のごめんなさい」にはなってないが。10%くらいは悪いと思っていても、自分が心からごめんなさいと認める事は、プライドがそれを許可できないからかもしれない。
昨夏、結婚式があった。その準備も多くの人たちがボランティアでされた。相当準備は大変だったらしい。式が済んで時間を置き、その方々に新郎新婦が皆さんの前でお礼を言っていたが、、、、、お礼の言葉は発しているが、本当の有難うがなかったと、色んな方から聞いた。それに関与した方々は、優しい方が多いので、だから多くの方々がHAPPYでない気持ちになったらしい。
庇われて皆の士気がなえてくる事もある。それは、庇われる人が、それを当然のように思い、ご自分を
他の汗を流している人より、高い位置にご自分でご自分を持ち上げているからだ。
そういう庇い方をされている人は、庇うことの計算や損得をどこかで、はかって、正当化されている。
仰る事は、言葉上では正しいのだが、何かが違うと周囲は感じてしまう。
それでは、汗を、本当に流している人の労を、プラスに進められ、周囲の人たちの心を喜ばせていけるだろうか?という疑問が残る。
反対に、庇ってあげたほうがHAPPYに生きてくることもある。しかし、それは庇われた人が、日々真剣に取り組んでいる場合だ。アメリカのある大きなメーカーの工場で、工場長のミスで大きな大きな損害を会社に与えた。
しかし、その工場長は毎日、真剣に真面目に熱意を持って仕事をしている人だった。最高責任者は、工場の中に入り、工場長の傍に行って「次はもっといい仕事をしてくれることを期待している。」そういった。その後どうなったかは皆さん、お解りだろう。更に頑張ったし、工場長は部下にも自分の失敗をとうし、ミスが起きないよう体制を整えたし、部下達も、いつも真剣に取り組んできた工場長なので、
最高責任者にも感謝し、会社のために、更に更にみんなが頑張っていくようになった。
それは、私が思うには、自分を良く見せ、昇格や賞賛やお金を目的としない、仕事の汗とHAPPYを、多くの人がその会社で、見つけた結果だろう。
古代の人は、そういうことが本当に理解でき、指導出来る人を、長にしていた。その長は、権力や圧力を自己中心や自己の野心を満たすためには、用いなかった。自然や人がHAPPYになれるよう努力していた。
今、自分が立っている位置で、思いや心を研磨していく時、厳しい中での本当の優しさが見つかっていくのかもしれない。
私も、今研磨中。荒削りなので、研磨してる時は、痛いと感じることもある。
優等生の答えなら、口で言う事は出来る。大事なのは、心がそこに伴っているか、紙一重の部分で行いが、純粋なものとなっているか、かも知れない。
古代の人は、パソコンが触れなくても、学歴も関係なく、本当に人間として、偉大だったのだなあ。
そんな優しさとHAPPYをを、お手本にしたい。
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