心の優しさの伝統の継承 その1
2月5日(木)晴れ
「心の優しさの伝統を継承できる人はHAPPYな人」
実祝プランニング語録
古代の人たちの伝統は、日常の些細なことも含め、自然と共に共存してきた素晴らしいものが、沢山ある。
例えば、ハーブといわれる薬草。日本では、よもぎや、シソがそうである。
料理に使ってよし、薬にしてよし。
そういう、ものだけではなく、優しさに潜む心の伝統もある。
古代ヘブライ人は、友が困っていたり、悩んでいたら、神にそのことを祈ってあげていた。
しかし、それだけで済ますのでなく、大事な事は、「あなたも、友と努力しないといけない。」ということだった。
解りやすく言えば、「あなたの友が、重荷を負って苦労したり、悩んでいたり、困っているときは、
知ってて見て見ぬふりをせず、必ず友に力を貸してあげないといけない。」と。
だから、それを実践してきたのだろう。力を貸して、友がHAPPYになれば、一緒に喜んだ。
友のHAPPYは自分のHAPPYにつながっていたのだ。
今の時代そんな関係がどれだけ、もたれていることだろうか?
本当の友がいれば、自分の命をもっと大事に出来る。
ボランティアの1つで、あることを1年以上前から、計画し準備していった。
私もその一員だったので、私は、まず、皆でやろう。皆の力を合わせて喜ぼう。そう申し上げてきた。だから、そのことに関しては素人の方も、努力して下さった。ここから、、ナノダが、以前書かせていただいたように、元美術の先生が、8合目まで出来ていて、完成まで後少しという段階になってから、色々言い出された。
それも、元美術の先生だけあって、言われる事は芸術的に良いことである。しかし、他の皆が汗を流し頑張っていた1年ほどの時間は、全く関与されなかったのだ。これをまとめている責任者を越えて、別の責任者を持っていた方と見事に変更をやってしまわれた。
他の事も、全て8合目から2合目まで逆戻りしてしまった。多くの方々に知らせていた時間よりはるかに、出来上がりも遅くなってしまう事態となった。さて、困った。
関わっていた人たち全てが、混乱させられたからだ。こだわりがあると仰ったが、綺麗なものを作りたいのは理解できるが、それなら最初からそれに関与できる位置におられるのに、なぜ見ていて何もされなかったのかと、申し上げた。なぜ、この責任者の方さえ、無視していかれるのかと。
大きなことでなくても、自分が今いる位置で、自分が立たされている位置を自覚していたら、お互いがお互いを助け合えHAPPYになれる。他のメンバーは皆、それを互いにしてきた。
何かが人より秀でてできる事は素晴らしい。しかし、頑張って汗を流した人たちを大事に出来ない心があるなら、それが行動になる。そこには隠れた『自分』の要求が1番の柱になっているからだ。
その上、これはボランティアだ。芸術の追求でもない。協力させて頂いたこと、出来たものを周囲に喜んで頂くという、内容そのものがHAPPYなのだ。まして、随分この責任者も他からの、変更を受け入れ、私とも相談し、折衷案を練り、ごちゃごちゃにされた中を、一緒に頑張ってきたのにである。
古代の人のように、友のために祈っていたら、1年、見て関与せず、、、ということになっていっただろうか?
利益が絡む仕事なら、お客様の意向で、どんでん返しもあるが、そこには又、仕事としての協力体制が生まれていくのだが。
お互いを、古代の人たちのように「友」として接していけたらHAPPYだ。
協力とか、友についてとても考えさせられた。
心の優しさの伝統を、考える余裕をもてたら、そこからHAPPYな関係が始まると思った。
Copyright2009 実祝〈みのり〉プランニング