苦しみを乗超え、ろ過されるHAPPY

12月23日(火)晴れ 少し寒い
さて、不況が広がっている。それなのに、各ショッピングモールや、デパートは、人であふれている。駐車場がどこも一杯ダ。
今日は、多くの方にクリスマスの喜びを贈れた。1年のうち、2回くらいしか会わない、ある
80歳過ぎのおばあちゃんの方と会えたが、喜んでくれた。
また、ある建設関係の営業マンとも、話が出来た。しかし、来年は、仕事がどうなるかわからない状態だという。Nさんとしよう。まだ子供さんは学生だ。毎日遅くまで仕事を頑張っているようだ。このNさん、私はご両親も知ってるが、とても感じが良い方である。優しさが伝わってくるのだ。12月7日に外で、あるボランティアがされた。寒い日だった。Nさんが、ほかほかカイロを持っていたので、5分くらい貸していただいた。その気持ちが嬉しかったので、気持ちをお返しした。
さて、仕事は仕事、ボランティアはボランティアと、分けないといけない。私が言いたいのは、
ボランティアに協力するふりをして、紙一重の部分で、商売色を出す事は控えないといけないと思う。もうそれは、本当に微妙で、紙一重の部分である。それを見抜ける人は少ない。
仕事や商売はしたらいい。生きていくために必要だ。しかし、それをボランティアのところに、利用したらいけないといいたいのである。仕事という名を出すならそれを出し、貫いたらいいことだ。
仕事としてお金をきちんと払っていることに対しソレデ十分なはずなのに、ボランティアで協力し、汗を流し、その上、その人たちに、隠れ蓑をつかっては、悲しいといいたいのだ。これは「職人の業」のように微妙な部分を感じ取れる人には見えてしまうのだ。
HAPPYを届けようと本気で願うなら、目に見えない色んなものが、ろ過されていかないといけないのかなあ?と思った。私の小さなボランティアよりはるかに大きな素晴らしいボランティアをされている方々は沢山居られる。そういう方々は見えないところから大きなHAPPYを頂き、更に人間として質の高いかたになっていかれているはずだ。なぜなら、何かをさせて頂いても理解どころか、妬みからか何からか知らないが、悲しい攻撃をうけたり、誤解をされたりする事もあるのだ。時間の経過とともに、真実は見えてくるのだが、その時間は苦しい。しかし、それを乗超えられると、今度は良くないことをしてきた方々に『善』や『励ますこと』を心から喜んでさせて頂けるように、どこからそんな力が来るのか、不思議となっていくのである。そのほうが、自分にも周囲にもHAPPYな結果になる。
本当のHAPPYは、苦しみをのり超えたとき、花が開くのかもしれない。
クリスマスを世界で最初に祝えたのは、貧しい羊飼いたちであった。『物』は持ち合わせていなかった彼らが、クリスマスを最初に祝う特別の権利を与えられたのだ。彼らは純粋な『心』を現し、それを贈った。世界中で報告がされているが、何故かクリスマスには多くのHAPPYな奇跡が起きるという。HAPPYなクリスマスにしたい。

苦しみを乗超え、ろ過されるHAPPY” に対して2件のコメントがあります。

  1. 石畳のん♪ より:

    『苦しみを乗超え、ろ過されるHAPPY』深い言葉ですね!
    Nさんも、真のHAPPYを手にされていますように!!

    1. happy-ok3 より:

      石畳のん様、こんにちは。いつも感謝します。

      『苦しみを乗超え、ろ過されるHAPPY』

      活用と利用は別物だと思っています。

      純粋な気持ちで、と言うことは、特にボランティアにおいては大事だと思いました。

      いつも本当に有難うございます。

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