命を助けてくれた小児科のY先生
12月3日(水)晴れ 暖かな日
いまは、小児科医と産科医が不足しているようだ。突発的なことがあれば、直ぐ病院に駆けつけないといけないし、いくら最善の手を尽くしても、上手くいかない場合もでてくると、医者ばかりに責任が行ってしまう事も要因だ。
私は、近所の小児科の開業医のお医者さんに命を助けられた経験を持つ。
だから、どうか、若い人で小児科を志す人がいたら、頑張っていただきたいと願う。
私の母は私が生まれる前から警察に勤務し、おなかが大きいときも仕事をシテイタヨウダ。
私が産まれても、3ヶ月くらいで、仕事に復帰したはずだ。現代のように土曜は休みではなく、
タダでさえ、女性が仕事をそれも、堅い仕事の中では、甘えてはいられなかったはずだ。
しかし、0歳児の私が、ある日から原因不明のお腹の病気になり、日ごとに弱っていく。何かあると、近所の小児科内科のY先生に診ていただいていたが、一向に治らない。父がもう大きな病院に移そうと、「Y先生、もう弱っていくばかりでこのままでは死んしまいそいうだ。Y先生が治せないのなら、大きな病院に移す。」と言ったらしい。Y先生は「私が医者生命をかけても
治します。」と断言した。それから毎日Y先生の闘いが始まったようだ。朝の診察の前、昼、夕方の診察の前、夜と、近所なので1日に何回も往診に来られたようだ。両親はしかし、仕事に出かけていないのだが、、。それが何週間かつづき、私は元気になった。その話を聞かされたのが小学校6年のときだった。そのときはどちらも引っ越していたので、Y先生に診てもらう事もなくなっていた。
それをきいたとき、薬が治したのではない!と直感した。
両親が結婚しても中々、子供がなく、周囲も諦めて、従姉を養子にする話しがほぼ決まっていた。その話が決まりかけたとき、授かったようで、養子の話は流れた。
本当なら、待望の子供だったわけだ。子供はお腹の中にいても多分聞いているはずだ。
私は感受性が豊かなのは良いのだが、強い、鋭いと3拍子揃っている。
「待望の子供なはずなのに、お母さんは3ヶ月で仕事に行ってしまう。周囲に迷惑かけないようにぐずらない、いい子なのに、放ったらかしではないか。ここに居てはいけないのではないか?約束がちがうぞ」多分0歳児にしてそんな感情をもったと思う。しかし、言葉葉マダ話せない。
大声で泣いて迷惑かける事もしない。0歳児にして、それらを自分で背負ってそれが身体に出たと、思う。
Y先生はご近所なので、母が仕事にでてる事も知っている。Y先生は「何が何でもこの子を死なせない!」と本当に医者としても大きな愛情を持って接してくれたと思う。Y先生が私に「死んではいけない!私も全力で頑張るから、頑張れ!私はあなたに生きてほしいんだよ!」その思いで何せ、私が死んだら医者を辞めないといけない。そこまでの気概で治療に当たってくれた。なぜそこまでしてくれたのか、解らない。今の医者の多くなら、大きな病院に移すといえば、責任も免れるしほっとするはずだ。
タダ、ご自分の医者としての経験から、0歳児の私をみて、言葉を話せなない、聞き取れない乳児の大体の性格や気質を判断できる力を持っていたはずだ。データや知識だけでなく、応用力がすごかったはずだ。だから、私の原因不明の病気は、身体云々でなく、別のところにあると判断したと思う。しかし、だからといって見えない部分のことであるし、母に仕事にいくことを止めさせる事も無理な話だ。治っても呑気な母は、薬が効いたくらいにしか思わず、仕事を続けていた。これは、専業主婦の家に生まれなかった宿命というのか運命なのか、それから子供ごころに見切りをつけたはずだ。
開業医の良さ、素晴らしさは昔はこんなところにあったはずだ。
一人の人間の命を救う事は、周囲にも大きなHAPPYを与え、命を救われたものが、また周囲に良いことを還元していくなら、HAPPYが、どんどん連鎖し時間と共に広がっていく。
お医者さんは、「命を守る使命」をはっきり自覚し、使命を持っていかれることを、勉強も大事だが医学部で毎日教えて行ってほしいなあと、思う。
その時、happy-ok3さんが助かってよかったです(*^_^*)。
whitewitch様、こんばんは。遡って下さって、恐縮です。
今日も生かされて感謝しています。
いつも本当に有難うございます。
whitewitchさんの おっしゃる通りですね!(あれっ1970年???)
しかし0歳の時のハッピーさん、悟り切ってましたね~。大物の風格が
この時から感じられました。Y先生も、それを見抜かれていたのですね!
石畳のんさま、こんにちは。いつも感謝します。
この話は、随分後になって聞かされました。
0歳児にも、心の真剣さは届くのですね・・・きっと。
いつも本当に有難うございます。