誠実なこと

12月1日(月)晴れ
2000年に発行されたある本の中に『いま立っている場所で事を成せ。』(エドワード・エバレット・へイル1822~1909年)という言葉を見つけた。この人はアメリカのボストンで牧師を永らく務めたあと、連邦上院のチャプレンを、任命された人だ。チャプレンとは、自分の考えや思想、知識、経験でアドバイスをするのでなく、聖書から、神が、何がいま正しいのかをメッセージしていく。軍隊や、学校、病院、刑務所にも、派遣されている。日本でも、教戒師の方が、刑務所でそれを行っている。アメリカの政治家に対してそれがかたれる人は、本当は私利私欲のない心と、人格的にも大きな人物でないと、難しいし任命されない。また、決して宗教を票の得点にいれることを、要請することでもない。
問題課題に対し、その政治家がまず自分をその職務につかせてくださった神の前に謙遜になれるよう、原点に立ち返らせ、そこから、問題のかげに隠れている、人間の様々な欲望や絡み合った善く無いものを、どう整理していったらいいのかを、人間の経験や知識からでなく、聖書の言葉から光を当てていく。そしてその政治家が、本当に善い答えを自ら実行できるように、励ましていく。
100年前の、この時代は、いまより純真にそれらがなされていたはずだ。
エイブラハム・リンカーンが(1809~1865)フランクリン・ルーズベルトが(1882~1945)の時代である。
それぞれが、自分が立っている場所でしか、事が出来ない。でも、そこで精一杯それを、誠実に
穴を空けずに継続出来るかどうかだ。
私は、毎週ボランティアをさせて頂いている。身体をその場に持っていくものもあれば、机の上でさせて頂きおくるものもある。数えてみたら、結構いくつかある。毎週の習慣になっているが、今回のように展示会がある忙しいときは、何かあったら、、という防御の為に準備やできることをいつもより前倒しにしていく。だから、いつもより忙しい。
ある地方に毎週創っては、送らせていただいているものがあるのだが、後で事情を知ったそこの方が、恐縮していたが,そのなかでさせて頂けたということが、happyなのである。
暇をもてあましているからできるのではない。忙しい中でも約束したことを、不安や心配という要素を相手に与えずに、相手が喜んで下さることを願ってきちんとこなす。誠実という意味は単にことをこなすだけではなく「まごころのある、まじめさ」とあった。
「誠実に之を行う。」ともし何かに書くなら、まず実践シテからである。
私はマダマダ、足らない部分が多いので『その努力をします』としかいえない。誠実に事を成せているか否かは、周囲が判断するものである。そしてそれは、いま立っている中で見えてくることのはずだ。

誠実なこと” に対して2件のコメントがあります。

  1. 石畳のん♪ より:

    ハッピーさんは、お忙しい中 読書も多くされていたのですね。
    その中からキラッと光る言葉を見付けて、ご自分に照らし合わせ
    よい行いに繋げていらっしゃる!本当に頭が下がりっぱなしです!

    1. happy-ok3 より:

      石畳のんさま、こんにちは。いつも感謝します。

      19世紀は、いまよりずっとアナログの時代でした。
      でも、大事な事を、深く掘り下げて行かれた人が多いと思います。

      『いま立っている場所で事を成せ。』(エドワード・エバレット・へイル1822~1909年)

      私も、再度、この言葉を大切にさせて頂こうと思います。

      いつも本当に有難うございます。

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