厳しさを掘り下げる

9月29日(木)
『上辺ではなく、深く掘り下げる重要さ。』実祝プランニング語録

詩篇というのは、神への賛美でもある。

一般社会では、毎日が厳しい・・・。

今は宗教から遠のく人が増えているという。

宗教家でも、本気で自分を神にささげている人も存在している。
そういう人達は要領良く進んではいかない。

けれど、残念なことに自分の生活を保持する為に、自分をささげるという人も中にはいるらしい。

それに危機感を覚える信徒が発言すると、辛辣な発言を国会に投げかけた古賀茂明氏のように追い出されることもあるという。

このような聖歌がある。
「神の御子にます、イエスの為に、罪を敵として立つは誰ぞ。すべてを捨てて、従いまつらん。わがすべてにます、王なる主イエスよ。」

罪や誤魔化し、自己保身を敵ではなく仲間と迎えるのでない。
言葉ではささげると言いつつ、自分のものにしてしまうやり方でない。
都合が悪い人を潰すのではない。
本気で罪を敵とし、すべてを捨てて神と人に仕える宗教者が育って欲しいと願いたい。

大きな存在の愛は、自分を隣人の為にささげ、用いる愛。

神の愛を説きつつ、自分を生かすために、神の言葉を盾にするのとは全く逆。

この苦しい先の見えない時代、今多くの人は、悩んで苦しんでいる。
その苦しみは、大きな存在はご存知のはず。

『詩篇86:1-口語訳 主よ、あなたの耳を傾けて、わたしにお答えください。わたしは苦しみかつ乏しいからです。』

紀元前1000年頃にうたわれた詩は、今も、生きた祈りとなって、大きな存在に届く。

たとえ要領が悪いように見えても、神が喜ばれることは、必ず神は守られる。Copyright2011 実祝プランニング

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