純粋な喜び

2月12日(土)
『純粋な喜び。』実祝プランニング語録
宗教は悪いことでは無い。
むしろ、倫理や道徳的にも、その教えから人を正しく神と人の前に形成させていく素晴らしい要素をもつ。
ところが、昔の素晴らしい献身をした聖職者のような人が少なくなってきているのではないかと、多くの人が懸念している。

素晴らしい聖職者達は、自分の欲を、捨てておられる。
自分の物を多くは持っていない。

自分のことより、人に尽くすことを喜びとしてきた。
良くないことが起きても、誰かのせいにしたり、逃げたり、誰かに良くない事を被せる事もしなかった。反対に自分が、それを被って覆っていかれた。

それが本当の、その教えの根幹だと思う。
根幹の部分は、問題が起きた時に、その姿を現す。
自分が全てしんどいことの責任は背負うのだ。
それはキリスト教で例えるなら、十字架を背負うことだろう。

しかし、今は誰かに十字架を背負わしている・・・そんなことになっていないだろうか?それぞれが、背負うべき荷物はある。しかし、独りで背負わなくていいはずだ。大きな存在に一緒に助けてもらう。純粋であろうとするほど悩みは大きいかもしれないが、純粋な喜びも大きいはずだ。
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