バレンタイン・デーの愛は続く その1 当たって砕けたらどうする?

3月3日(水)晴れ
『愛は勝ち誇り見下すものではない。』
実祝プランニング語録 
オリンピックが終わったので、バレンタイン・デーの続きを少し❤バレンタイン・デーに思い切ってラブレターを出した男性(詳細は2010年2月12日~13日のブログに)の皆さん!想いが届くといいですね。

けれどもし、「当たって砕けた。」方々。顔で笑って心で憎むなら、それは愛とは異なる。
肩書きの詳細は控えるが、もう還暦を過ぎた「先生」とも呼ばれる方がいる。

ところが、あるとき多くの人々の前で何十年ぶりかで高校の同窓会に出た事を話をされた。
恋焦がれ大好きだった女性が来ていたという。「好きな女の子だったけど面影なんてなく、昔とは似ても似つかぬ姿に様変わりしていた。ウワッハッハッ!!!」と。

想像だが、高校の3年間、ずっとその女性を想い続けていたのだ。しかし、見事に振られた。もう46年以上の月日が経過している。

けれど、その怨念?のようなものは心の片隅に残っているようだ。その女性の表面的な容姿が今は変わっているからと、振られたことの腹いせのように勝ち誇ったように笑う。

笑うより、その「先生」は、その女性の姿変わりは苦労の足跡かもしれない、その苦悩を聞き慰めてあげる立場にある。

深層の部分ではその「先生」はいまだに振られた憎しみを引きずり、恋に未練を持っている。どちらも結婚されているが、いまだに深層ではその女性が忘れられない本音が見える。46年以上も未練を残し、振られた事に憎しみをもっていることすら気付いてない。
反対に随分以前だが、あるクリスチャンの男性がある女性を好きになった。が・・・見事に振られ、その女性はその男性の友達が好きになって、結婚することになった。その男性は悲しかっただろう。しかし皆の前でその2人を心から祝福し、結婚式の準備を手伝った。
その姿に多くの人達も私も「愛すること」を無言の中に教えられ学んだ。

頭で解っていても愛を実行していくのは難しいね。でも本当に愛することを選べたら素敵だ。 『神は愛です。第一ヨハネ4:6』続きは又、明日!★★★ Copyright2010 実祝プランニング※アダルト的内容とは一切関係がないのでそのようなコメント及び不適切なものは遠慮をさせて頂きたくお願いいたします。

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