相手を謙遜に思いやるHAPPY

1月30日(土)晴れ
『人を呼ぶ言葉にも、心が出る。』実祝プランニング語録
人の心は顔に映る。だから、もっと言葉やマナーを磨くことを教えていくほうがいいと思う。誰かを呼ぶ呼び方も言葉のうちである。
私は若い頃、通称「ぼうやちゃん(仮称)」と呼ばれていた。少年のマークレスターのように、可愛かったのかな?(笑)しかし、20歳を過ぎた頃から、もうその呼び名は卒業したいと思った。
友人達は皆、快く応じくれた。ところが、ある知人がそれを止めてくれない。何十回頼んでも駄目なのだ。引越し等も加わり遠方・疎遠になり、会う機会もなかった。
先日、その知人と偶然あることで何年かぶりで電話で連絡をとる機があった。が「ぼうやちゃん」と呼ぶのをを止めない。再度「止めてほしい。」と伝えた。私はもう10代ではない。
知人は私より歳も上の男性である。ところが「ごめんなさい。」ではなく返事は「ぼうやちゃんはぼうやちゃんでいいんだ!!」
ところが知人は今、亡きクリスチャン作家の本の内容を自分が説明、説教するような仕事をしているらしい。
そのクリスチャン作家は立派なクリスチャン。私も、若い頃その本からは感動を沢山頂いた。しかし、いくら作家の立派なスピリットを人々に話しても、陰でご自分がいつも人の上から見下す心と言葉を持っていては、悲しい。
何度「嫌だから止めて」と簡単な事を頼んでいるのに更にしてくることは、何を意味し、何を排出しているのか気付いていない。
まして長年音沙汰もなく、争いをした事もなく親しくもないのにだ。
この知人は{本当のごめんなさい}ができない。歳がどうであれ、人を大事にする事、謙遜になることには、歳も性別も関係がない。
ある牧師が、『人に負けたくないというような心理もはたらき、やっかみもあって自分が上に立たないと気がすまないのだろう。それを気にせず、あなたは今進んでいることを頑張りなさい。』そう励ましてくれた。
『主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる。箴言34:18(2009年10月29~30日のブログに掲載)』謙遜にお互いを思いやる事を大事にしないといけない。続きは明日のお楽しみ★★★Copyright2010 実祝プランニング

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