人を生かす努力が起こしたHAPPY その3

7月10日(金)雨
『自分を生かす目的でなく、隣人を生かしていこうと努力するHAPPYには限界を超えた力が与えられていく。』実祝プランニング語録
4歳の女の子とその母親は、仲間の難民達に良くしてもらえた。若い男性と中年の男性が交替でその女の子を背負っていくと申し出てくれた。

難民達は更に山を登って行った。険しさが増し高く登っていくほどに、疲れを訴える人が続出してきた。とうとう、年長の身体の弱い老人がしゃがみこんで苦しそうに言った。

「もう、私はこれ以上、歩けません。私にかまわないで皆さんは進んでください。どうか私をここで死なせてください。けれど、あなた方は、国境を越えて助かってください。」そう言い終わると、地面に倒れこんでしまった。難民達の指導者は、その老人のそばにかがみこんで、言った。

「あなたは、まだここで死んではなりません!命がある限り皆で助け合うのです。あなたに今残されている力が、たとえどんなに僅かであっても、その力はここに居る仲間全員のものです。

あの女の子を運んでいかなければなりません。あなたの力を最後の一滴まで、あの女の子を背負って、私たちを助けてください。

あなたはまだ息をしています。本当に息が絶えてしまうまで、一緒に助けてください。私達は仲間です」そう告げた。
この老人は仲間を、そして女の子を助ける為に再び立ち上がった。

しかし、これは単なる山登りではない。食事もろくに摂らず、ゲシュタポからの恐怖におびえ緊張の糸も限界に達した中、急な山道を登っていかなければならない。
この過酷な危険な旅の最中で、他にも3人の老人達が、先の老人と同じように「私は、もう駄目だ。私を置いて皆さんで進んでください。」そう告げた。

その度ごとに、この指導者は、同じように「あなたの残された最後の一滴の力を絞って、私たちと女の子を助けてください。」そう言った。
もう自分は駄目だ、そう思っていた老人達も、この指導者の言葉には従った。そして自分は最後まで、女の子と仲間を助けるその目的の為に頑張ろう。

死ぬ間際まで、誰かのお役に立てるなら、神のお役に立つことなのだ。
そう決心して自分を救うためではなく、周囲の人を助けるHAPPYの為に立ち上がった。
 
『幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。主はわざわいの日にその人を助け出される。聖書詩篇41:1』

そしてこの指導者も口先だけでなく、皆の必要な重い荷物を自分が引き受け、危険を覚悟で1番最後から皆を見守り歩いていたのであろうと私は思う。
だからもう駄目だと嘆く老人達でさえも、言葉でなく指導者の行動に倣ったのだと。
さて、全員が本当にゲシュタポを逃れ国境を越えられたのか?続きは、又、明日・・・。Copyright2009 実祝(みのり)プランニング

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