フランシス・マリオンのHAPPY その3

6月5日(金)曇り後雨
『重い責任も果たす力が与えられ、HAPPYな背負い方ができる。』実祝プランニング語録
同じ1930年「ビッグ・ハウス」及び1931年「チャンプ」においては脚本部門でアカデミー賞をフランシス自身も受賞している。すごい偉業だ。人情に厚く相手に対する「どうぞ」の気持ちが、HAPPYな励みとなって更に実力に反映していったと思う。良い作品が自分の利欲でなく、「相手へのどうぞ」から情熱が沸きあがり、書けていったのではないか?スクリーンの向こうにいる人の心に届く前に俳優達の心を捕らえる脚本が書けた人ではなかったのか?それとともに、彼女の脚本に俳優が応え、良い作品に完成していったのだ。
また、映画がトーキに変わってからは、撮影方法も変化し、それに対応できる脚本技術が要求されたはずだ。その変化に見事に対応できた柔軟さも彼女の才能だ。
さて、多才な能力を持っていたアービンの指揮下で勢いを増すMGMであったが、彼の涙は心臓にあった。実は心臓に疾患を持っていた。にもかかわらず、24時間編集室を出ない事もある、仕事に熱い人だった。映画製作は多くの人の才能が1つになって仕上がっていく仕事だ。アービンも又、多くの人の汗、涙、悩みを越えて作られる仕事に対し「どうぞ」の姿勢を持ち続けたHAPPYな人だったと思う。このアービンは1936年、若干37歳と言う若さで天に帰ってしまった。フランシスはそのアービンの後を引き継いで当時、世界最高と言われたMGMを支え続けたのだ。女性であるフランシスがアービンの後を継げる実力があった事は事実だろうが、この時代女性をその位置に置くというのは珍しいことだ。周囲の人達もまた、素晴らしい人人だったのだ。 『すべては責任から始まる。(P・F・ドラッガー)』当時彼女は49歳。10年後の1946年にはMGMを引退した。しかし、この10年は重い責任を担い続ける覚悟と力が要求されたことであろう。  『主よ、私の力、私のとりで、苦難の日の私の逃げ場よ。聖書 エレミヤ書16:19』男性でも重い大きな責任をフランシスはHAPPYに背負っていったのだ。続きは又、明日・・・。
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