エセル・マーマンのHAPPY その8

5月21日(木)晴れ
『本物のHAPPYは闇に輝く光として照らされていく。』
実祝プランニング語録
召される年の2年前まで、HAPPYに力強い舞台を務めたマーマン。
1度も舞台で「あがる」事が無かった強い個性に対し、熱狂的なファンも多かったが、それを疎む人もいた。マーマン自身も多くの苦労悲しみ、中傷に打ち勝ってきたからこそ、マーマンの歌に命を支える、力が存在したと思う。
結婚もパワーが必要だが、離婚はその何倍ものパワーが必要だときく。結婚は喜びが伴うが離婚は悲しみ痛みが伴い、その傷は本人達しか理解できない苦悩なのだろう。
まして層の厚いアメリカの芸能界である。スキャンダルはマーマンを引きずりおろす材料となったかもしれない。痛みと苦痛の伴うプライバシーを本人達の決断の苦しみを直接聴いたわけでもなく
励まし慰めたわけでもない人達によって、事実と違う良くない事も書かれ言われただろう。
今でも世の中にこのような卑怯なことをして誰かのことを事実と違うように吹聴している人がいる。その人達の肩書きは、人から相談を受ける立場の人や、何かを教える立場の人でも、悲しいかな存在しているのだ。それはその人達の劣等感から優位に立たちという傲慢さ、人間として本当の辛辣を経験していないからその苦悩が理解できないのに、上から意見をいう立場にいるからであろう。本当に苦労を重ねた人にはその人達が本物か否か、何故かわかってしまうのだ。本物を持たない人達がいくら美辞麗句を並べても苦しんでいる人達の心の闇を照らす事は難しい。
マーマンは愛娘をも先に天に送っている。子供を先に見送ると言うのは、どんな悲しみ痛みだろうかと、こちらまで胸が痛くなる。私の母方の祖母には子供が4人いたが、そのうち3人は幼くして先に天に帰ってしまった。その話をする時は忍耐強い祖母であったが、年老いても涙を浮かべていた。それらの辛辣を体験してきた人達は、言葉を発しなくても同じような苦しみを体験してきた人達にHAPPYと慰めと励ましを届けるパワーを天から授かっている。授かっている事にも気付かないで自然にそれが光として届くのだ。人を傷つけ出し抜き、裏切る人が傷つけ裏切っていることに気付かず自覚が無いことと対極にある。誰でも苦しいことや裏切りでなく、楽しいHAPPYなことを望む。しかし、苦しみを体験し乗越えてきた人達にはマーマンのように人の心に光を届けるお手伝いをさせて頂けるHAPPYがある。『主は、私の光、私の救い。だれを私は恐れよう。主は私のいのちのとりで。だれを私は怖がろう。聖書 詩篇27:1』明日からは新しいHAPPY!ではまた明日・・・。
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