損得から脱するHAPPY その1

2月8日(日)はれ

『損得から脱して真実なことに生きるHAPPY』
実祝プランニング語録

利害から離れて、真実なことに生きれる事は、本当はとても素晴らしいHAPPYなことだよ。
わたしが尊敬する方はそう言って、励ましてくださった。

確かにそうだとは思うが、様々なことがあまりにあると、気持ちが揺らいでくる時がある。

さて、冬はウインタースポーツの競技が多い。そのなかでもフィギュアスケートは、大好きだ。
試合で、それでも練習で100%完璧に出来ていても、ほんの一瞬のタイミングのずれや、着地、氷の状態、精神面での焦りや不安が少しでもあると、転んだり、回転が不足したりしてしまう。

人間は100%として習得出来ていたとしても、いつもそれが維持できるとは限らない。
維持できないことが続いたり、悲しいことがある時、スランプに陥ってしまう。それだけ強くないのだ。

でも、スランプや何かがあったときこそ、本当はHAPPYなんだ。
周囲のあらゆることが、何故か鮮明に、鋭く見えてしまうのだ。

それらを理解できるのは、年令に伴う経験もあるが、要領よくではなく、逃げでもなく、自分の損得という事を外さないと、理解できないことが多い。
わたしが尊敬する方は、わたしを10代から知っている。その頃から、わたしの中にある部分を的確に
ほぼ正確に判断されていた。すごい方と思う。

肩書きを持っているから、どこかで活躍しているというのは、ある面では、素晴らしい。しかし、肩書きや名前を外したとき、残るものに価値を置けたら本当はとてもHAPPYだ。これはとっても難しいが。
でもこういうことと真剣に対峙している時は、人の根底にあったものが、赤裸々に見えてくる。
良いことと思っていたことや、人の言動が、根底ではそうではなく計算しつくされていたり、良くないと思っていたことや人の対応が実は、表現やそのときの相手の悲しみや切羽詰まったことを理解できず、ズレが生じて根本、根底は素晴らしいものなのに、誤解や行き違いから生まれた大きな怒りが、互いの信頼の崩壊になっていたりする。

それらの何かが、正しく見えてきたとき、どう対処していけるかがHAPPYにつなげていく道と思う。ただ、相手がある場合は、難しい。でも、相手に感謝やHAPPYを贈る事は可能なハズダ。
そこでは、優等生の殻や優等生のバッジや、上着は絶対に捨てないといけない。そうでないと言い訳か、言い逃れのような形しか残さない。時間が経過したから、見過ごしていくと、どちらかの心に傷や頑なさをこびりつかせてしまう結果にならないだろうか?

HAPPYには、本当の心の低さや勇気が求められる。
Copyright2009 実祝(みのり)プランニング

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