HAPPYの多面性

2009年 1月1日(木)元旦
明けまして、おめでとうございます。
でも、もし、昨年悲しいことがあった方々は悲しいと思う。郵便局で、偶然『年賀はがきを買ったが、急に喪中はがきを出さなくてはならなくなったので、普通のはがきに替えてほしい。』と言う方がおられた。私も経験があるが、『喪中はがき』をだす年はなんとなく、物事がもやがかかったように、ぼんやり見えてしまう。
もし、「大往生だ。」と皆が言っても、目の前からいなくなった寂しさ、悲しさは例えようがないのである。

悲しい時は、沢山泣くといいらしい。私の場合は、それどころではなく、忙しいことのほうが先にきて泣いてなどいられなかった。お陰で「何があっても気丈な人間。」と親戚中からレッテルを貼られてしまった。でも、本当は泣いたほうが、心にかかっている「もや」が早く洗い流されていくのだそうだ。
ある、聖職者の方が自分にとっても、周囲にとっても愛する人を、この2ヶ月で5人も天に送ってしまったと。春から3人送り、合わせると8人もだと。高齢の方々ばかりではあるが、とても寂しい新年だと仰っていた。それでも、その方々が、生きている間、心にいつも愛と感謝とHAPPYを持っていた人ばかりなので、その方々が蒔かれたものが、良い芽を出して、亡くなってからそのHAPPYを希望として遺された多くの方々に、今与えてもらってると。

悲しみの中からでも、希望やHAPPYを見つけられる人は本当にHAPPYだ。

それを聞かせていただけたこともHAPPYだった。

さて、年賀状で1番嬉しい年賀状があった。もう80歳半ばのご婦人からだが、全部手書きなのだ。私宛の住所も、中の言葉も。上半分は丑の綺麗な絵がこれも、絵の具で描かれていたがこれは、姪の方が描いたと思う。
もうこの位の御年になっていくと文字が上手く書けなくなる。力が入らないため手が震えてしまうのだ。その、震えた文字で、ほんの小さな小さなクリスマスプレゼントのお礼をも丁寧に書いてくださっていた。心が伝わってきて涙が出た。
私の小さな小さな贈り物を大きなHAPPYに変えてくださった。
私は、いつもこの方を見ているだけで励ましを受ける。HAPPYを頂く。

受け取ることも、相手にHAPPYを与えるのだ。
届けるばかりがHAPPYでない。何かを受け取ることの中にもHAPPYは沢山あって受け取ることが反対にHAPPYを届けることにもなっていく。

元旦から素敵なHAPPYの多面を体験させられ、教えられた私は、HAPPYだと思う。

今年も宜しくお願いします。

PS.それから、今は変なメールもある。だから知っている人から、おかしいと思うメールがあれば本人に確認したほうがいい。やはり、話をするのが1番いいかもしれない。

HAPPYの多面性” に対して2件のコメントがあります。

  1. 石畳のん♪ より:

    手書きの年賀状は本当に嬉しいですよね!(例え一言でも)
    ご高齢の方のオール手書きの年賀状は額に入れて置きたくも
    なりますね♪ 年々手抜きになっている自分が恥ずかしいです。

    ハッピーさんが、繰り返しておっしゃってる
    『贈っても贈られてもHAPPY』を私も胆に銘じ
    少しても広げていけるような人間になりたいと思います。

    今年も?どうぞよろしくお願い致します。

    1. happy-ok3 より:

      石畳のん様、こんにちは、いつも感謝します。

      手書きのものは、嬉しいです!

      『贈っても贈られてもHAPPY』
      そう思います。
      贈り物は、心が温かくなりますね!

      こちらこそ、よろしくお願いします。
      いつも本当に有難うございます。

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